川瀬巴水
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 ~ 1957年(昭和32年)11月7日)
新版画を代表する大正・昭和期の絵師。本名は川瀬 文治郎、雅号の「巴水」として世界的に有名です。
1883年5月18日東京芝区に生まれ、幼きころから絵心があり、画家を志し日本画を学び、27歳で鏑木清方に入門して「巴水」の雅号を与えられ、最初の作品は1912年の巽画会に出展されました。
しかし彼の画家としての才は、日本画・洋画では芽生えず、伊東深水の木版画「近江八景」に影響を受けて木版画絵師へと転向しました。近江八景の版元でもあった渡邊庄三郎(渡邊木版美術画舗)は彼の才を見抜き、渡邊木版を版元として、巴水による塩原の風景画が3点、木版画として1918年に出版されました。
それが好評を得たことから、その後いくつものシリーズ木版画が巴水を絵師として生み出されました。 1920年「旅みやげ第一集」、1921年「東京十二題」、「旅みやげ第二集」(28作品)、「東京十二題」など。
1922年より12作品で構成する「日本風景選集」を手がけ、11作品めを制作中の1923年9月1日、関東大震災によって巴水は描きためたスケッチを失い、渡邊庄三郎はほとんどの版木・版画を失ってしまいました。一時失意の底に沈んだものの、再起を果たすため渡邊庄三郎の勧めもあり、巴水は写生旅行に出発しました。10月23日から翌年の2月2日まで、北陸・山陰・山陽などを巡る103日間の生涯最大の旅行となりましたが、その結果として「旅みやげ第三集」が生まれました。
その後も、彼が亡くなる1957年11月7日まで積極的に木版画作成の作画活動を続けました。
近年、世界のコレクターによって、巴水が偉大な芸術家であったとの認識が高められており、スティーブ・ジョブズ(1955-2011: Appleコンピューター旧CEO)も、巴水のヘビーコレクターであったことは有名です。
鳳凰堂の暮雪 27,800円
SIZE : W 36.3 / H 23.8 (cm)
昭和26年(1951)作画
平等院の鳳凰堂は世界遺産であり、10円玉にも描かれている日本を代表する観光地として有名です。 鳳凰堂は外見上、建物全体が丹土塗り(朱色)で屋根上には金の鳳凰があり、とても目を引くところです。 しかし、あえて全く色を使わず、白黒だけでうっすらと雪が降り積もる鳳凰堂を描写し、 その建築美を伝えている、いかにも巴水らしい作品です。
雨の牛堀 33,000円 (税込)
SIZE : W 26.2 / H 37.4 (cm)
昭和4年(1929)作画
霞ヶ浦の水運が発達し、蒸気船(通運丸、銚子丸など)が通るようになると、 ここには牛堀河岸が作られ、水産業の問屋や、佃煮の加工業者などが 多く集まった場所です。
荒川の月(赤羽) 27,800円 (税込)
SIZE : W 23.6 / H 36.1 (cm)
昭和4年(1929)作画
「東京ニ十景」という20作シリーズの一点。 現在、一級河川でもある荒川の岸辺に家があるとは、ありえないことですが、当時としては よくある風景だったのでしょう。当時は月光りがこれほど明るいものであり、家からの灯や 川に浮かぶ小船、子を背負う女性などが構図良く加わって、月夜の静寂さが伝わってきます。
赤目千手瀧 27,800円 (税込)
SIZE : W 23.9 / H 36.5 (cm)
昭和26年(1951)作画
三重県の赤目には赤目四十八滝と言われる滝群があり、その中でも大きな滝の一つが千手瀧です。 それは岩を伝って千手のように落水するところからの命名されたという説があります。 黒い岩肌の滝から流れ落ちる白い水と、しだれかかるイロハモミジ、深い緑の滝つぼが調和した見事な作品です。
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代地の雪
代地の雪
SIZE : W 22.2 / H 33.1 (cm)
大正14年(1925)作画
かつて江戸には「○○代地」「××代地町」とよばれる町がありました。 江戸幕府が境域の一部を収公した町に対して、代わりに与えた地に成立した町です。 明治以降その呼称はなくなりましたが、この作品はその代地と呼ばれた場所の風景です。 作成当時ではハイカラな自動車や電信柱などがあり、時代の移り変わりを感じさせる一品です。
修繕寺の雨
修繕寺の雨
SIZE : W 24.0 / H 36.0 (cm)
昭和8年(1933)作画
修善寺は伊豆最古の温泉街です。 雨の中にシルエット風に大きな旅館をうつして、修善寺の街風情がうかがえます。 当時、この露天風呂は混浴だったと言われています。
潮来の夕
潮来の夕
SIZE : W 26.1 / H 37.3 (cm)
昭和5年(1930)作画
潮来(いたこ)とは、茨城県南東部,利根川下流域の水郷にある地域。
江戸時代から水運の中継港として栄え、明治以後は水郷観光が盛んとなりました。
水運業で栄えた商人たちが、川辺に蔵を構えていたことが作品からもうかがえます。
小樽の波止場
小樽の波止場
SIZE : W 24.1 / H 36.4 (cm)
昭和8年(1933)作画
北海道の港町、小樽の波止場。突堤の灯りが波にゆれて、
二人の男以外は誰もいません。ハッピとオーバーという異種の二人ですが、
ちょっとだけ話かけたようにも見えます。
あたかも二人の密談現場を捉えたかのような作品です。
天草本領
天草本領
SIZE : W 25.3 / H 37.8 (cm)
昭和6年(1937)作画
熊本県西部の島々からなる天草には、いくつかの城跡があります。
暑い夏の夜、城址の畑を耕して帰る途中の母娘が赤く染まった空を見上げている。
茅葺き屋根の漁村住宅が手前、天草の島々が奥にあります。
日光中禅寺湖
日光中禅寺湖
SIZE : W 23.4 / H 36.2 (cm)
昭和4年(1930)作画
蓮井は栃木県で多くの作品をデザインしていますが、そのほとんどが日光の風景です。
中禅寺湖、華厳の滝、戦場ヶ原、夕滝など各地で奥日光の自然をデザイン。
雪の宮島
雪の宮島
SIZE : W 24.0 / H 36.0 (cm)
昭和4年(1929)作画
海上に浮かぶ朱の大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、日本三景のひとつとして知られる景勝地である。
正式名称は「厳島」、通称「宮島」と呼ばれるが、滅多に雪の降らない場所であり、稀少な鳥居の風景画である。
大和壺坂寺
大和壺坂寺
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和25年(1950)作画
1875年ごろに書かれた浄瑠璃『観音霊場記』で有名な壺坂寺。観音の霊験により奇跡が起こり、夫婦を死から救ったとされます。この作品では、霊験にゆかりありそうな人が参詣する楼門内より、夕月かかる山林を描写しています。
社頭の雪
社頭の雪
SIZE : W 23.6 / H 36.2 (cm)
昭和6年(1931)作画
「社頭の雪」とは昭和6年の皇室歌会の勅題。
社頭とは社殿の前、神社の付近を意味します。
巴水が得意とする雪に赤い社殿を配置した、絵になる構図となっています。
平泉金色堂
平泉金色堂
SIZE : W 24.0 / H 36.2 (cm)
昭和32年(1957)作画 この作品が巴水の絶筆となりました。彼の死後、このデザインを木版画
にして版元の渡邊庄三郎も亡くなりました。
その初摺りは巴水の冥福を祈って百ケ日の法要に際して友人知己の間に
配られました。平泉金色堂に参るひとりの旅人の孤愁を感じますが、
それが巴水の最後に画きとめた自らの後姿だったのでしょう。
舟津の秋
舟津の秋
SIZE : W 36.5 / H 23.7 (cm)
昭和28年(1953)作画 富士山の裾野の美しさを、木版画独特のかすれによって、見事に表現した作品です。
富士五湖のひとつ河口湖を、湖越しとするの富士が絶景として有名ですが、
巴水はそれを嫌ったのか、湖を背にし、舟津村からの富士を描いています。
勿来の夕
勿来の夕
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和29年(1954)作画 茨城県との県境に位置する福島県の勿来の関は、"奥州三古関" と
呼ばれており、5世紀に置かれたとされています。
この周辺は、今も昔も変わらない松のこずえ越しに太平洋が一望できる
こともあって、県立自然公園に指定されています。
日本橋(夜明け)
日本橋(夜明け)
SIZE : W 23.8 / H 36.6 (cm)
明治44年(1911)作画 巴水の日本橋として、広重の東海道五十三次に勝るとも劣らず、屈指の秀作・人気作である。
本作品は東海道風景選集という26図からなる未完シリーズの1点。
三越側より京橋方面が描かれており、夜明けの薄もやのこもる中に日本橋を写した構図が大変良い。
松島双子島
松島双子島
SIZE : W 36.3 / H 24.3 (cm)
昭和8年(1933)作画 「日本風景集東日本篇」という24図シリーズの1点。
日本三景随一と言われる松島の風景の中で、双子島を中心とする勝景を
巴水は好みとしていました。
雪の向島
雪の向島
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和6年(1931)作画 広重と同じく、巴水も雪景に優作があります。
数ある巴水の雪景の中で、この作品は構図が良く、屈指の傑作です。
巴水の心が見えるような作品です。
清水寺の暮雪
清水寺の暮雪
SIZE : W 24.2 / H 36.5 (cm)
昭和25年(1950)作画
堂に入った構図となっていて、雪景としての気分もよく現われている作品です。
雪の増上寺
雪の増上寺
SIZE : W 37.0 / H 23.3 (cm)
昭和4年(1929)作画 増上寺は東京の芝にあり、巴水は芝で生まれたので、幼少より
慣れ親しんできた場所でした。
池上本門寺
池上本門寺
SIZE : W 24.1 / H 36.4 (cm)
昭和6年(1931)作画 巴水が得意とする雪景の一品。本門寺への参道、霊山橋あたりで、景趣をそえる一本
の松を中心に、遠く雪ぞらに薄れる山を映した構図。
通う人の足あとに消えた雪みちの起伏する表現がこの作品の見どころ。
奈良春日神社
奈良春日神社
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和8年(1933)作画 春日神社は名所であるが故に、名所画には平凡に見えてしまうという難点が
あります。創造と伝統との二律背反に悩む巴水の姿がうかがわれます。
しかし、外国人には大いに好まれる作品です。
芝弁天池
芝弁天池
SIZE(about) : W 36 / H 24 (cm)
昭和4年(1929)作画 弁天池は、東京・芝の増上寺の裏手にある宝珠院に隣接している池です。
一面の蓮の花より他の作品では感じられないような雰囲気が伝わります。
時雨のあと(京都南禅寺)
時雨のあと(京都南禅寺)
SIZE : W 24.0/ H 36.5 (cm)
昭和26年(1951)作画 雨に清められた空気が彩かで、紅葉もひとえに冴えた感じのする、
巴水独特の作風の作品です。
水たまりに山門の影を映したところは、簡単な描写でありながら、
極めてリアルに表現されています。
明治神宮菖蒲園
明治神宮菖蒲園
SIZE : W 24.0 / H 36.4 (cm)
昭和26年(1951)作画 名所絵はがき的な親しみやすさがある作品です。
彫りにも摺りにも相当に骨を折った作品です。
相州前川の雨
相州前川の雨
SIZE : W 24.0/ H 36.2 (cm)
昭和7年(1932)作画 「東海道風景選集」という26図からなる未完シリーズの1点。
わら家が並ぶ街道筋に雨が降る夜景は、伝統的な木版画であり、
また巴水の得意な絵でもあります。
降る雨はバレン摺りで表現しています。
忍野の富士
忍野の富士
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和16年(1941年)作画 忍野村は富士北麓の標高およそ940mに位置する高原の盆地にあります。
富士を配した美しい景観、大陸性のさわやかな気候、動植物の豊かな生態など、
富士山と密接な関係にある忍野には自然の魅力がたくさんあります。
そんな魅力が堪能できる作品です。
日光神橋の雪
日光神橋の雪
SIZE(about) : W 36 / H 24 (cm)
昭和5年(1930)作画 神橋は栃木県 日光にあり、日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に
映える美しい橋です。
1999年12月に世界遺産に登録されました。
神戸長田神社八雲橋
神戸長田神社八雲橋
SIZE(about) : W 24 / H 36 (cm)
昭和9年(1934)作画 「日本風景集関西篇」という24図シリーズの1点。
巴水の雪景の中でも傑作のひとつです。
八雲橋をその袂から見るという風変わりな構図が、その成功の秘訣 となっています。
厳島之雪
厳島之雪
SIZE(about) : W 36 / H 24 (cm)
昭和7年(1932)作画
色感からくる軽淡な印象からか、とにかく美しい、と感じる作品です。
松山城名月
松山城名月
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和28年(1953)作画 松山市の中央、標高132メートルの勝山山頂にそびえる松山城は、
姫路城、和歌山城とともに日本三大連立式平山城に数えられます。
五浦の月(茨城)
五浦の月(茨城)
SIZE : W 36.5 / H 24.2 (cm)
昭和27年(1952)作画 この建物は五浦六角堂と言われ、1905年に岡倉天心が自ら設計したもので、天心が読書と思索にふけった場所といわれています。
2011年3月11日、東日本大震災に伴う津波の直撃を受け、消失しましたが、翌年には再建されました。その消失前の六角堂を画材とした貴重な作品となります。
馬込の月
馬込の月
SIZE : W 24.1 / H 36.3 (cm)
昭和5年(1930)作画 「東京ニ十景」という20図シリーズの1点であり、巴水の夜景の中でも傑作として知られている。
巴水が住んでいた馬込の田園風景。大きな松の枝間に見せる満月、それと農家の小さな灯との対照が実に巧妙である。
錦帯橋の春宵
錦帯橋の春宵
SIZE : W 24.0 / H 37.3 (cm)
昭和22年(1947)作画 錦帯橋は日本三名橋と呼ばれ、1922年に「名勝」として指定された。
下を流れる清流錦川と桜に埋もれた風情に感銘を受けたのであろうか、春の美しい夕刻となっている。
終戦後まもない本作品は、日本を訪れた外国人にとって、彼らの理想とする日本そのものであったことだろう。
池上本門寺の塔
池上本門寺の塔
SIZE : W 36.0 / H 24.5 (cm)
昭和29年(1954)作画 池上本門寺の五重塔は、関東地方では現存する最古(1607年建立)で最大の五重塔です。
巴水の親友で兄弟子の伊東深水が池上本門寺に住んでいたこともあり、巴水にはとても馴染みのある場所です。それ故、本門寺を何度も作品に取り上げ、その五重塔の作品も他にもありますが、これは月明かりの五重塔を描いています。
春の夕(上野東照宮)
春の夕(上野東照宮)
SIZE : W 24.0 / H 36.2 (cm)
昭和23年(1948)作画 この五重塔はもともと上野東照宮の一部として建てられましたが、明治になってから神仏分離令により寛永寺の所属となり、現在では上野公園の管理下にあります。 関東大震災や第二次世界大戦でも消失を免れ、巴水は戦後間もない時期にこれを描きました。
上野清水堂の雪
上野清水堂の雪
SIZE : W 24.1/ H 36.4 (cm)
昭和4年(1929)作画 東京の版元、酒井と河口が合同出版した新版画16種のうちの
第一番目にあたる作品です。
江戸時代、広重も描いた上野清水堂が題材となっています。
品川
品川
SIZE : W 23.8/ H 36.1 (cm)
昭和6年(1931)作画 「東海道風景選集」という26図からなる未完シリーズの1点。
細い線の描写から、明治の雰囲気が伝わってきます。
巴水は近代と現代とをつなぐ役目も果たしています。
吾妻峡
吾妻峡
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和18年(1943)作画 吾妻峡は、群馬県吾妻町から上流へ向かい長野原町川原湯入ツ場大橋まで約4キロ
続く吾妻川の渓谷です。両岸にはカエデ、コナラ、ケヤキ等の落葉樹がよく茂り、
春は若葉の間にツツジが咲き、秋には紅葉が目を楽しませます。
荒々しい峡谷とそれを覆う美しい紅葉とのコントラストが生える作品です。
上野東照宮(の雪)
上野東照宮(の雪)
SIZE : W 24.5 / H 36.0 (cm)
昭和4年(1929)作画 東照宮は江戸幕府によって建立された徳川家と縁戚関係がある人々の
神社ですが、上野にもあります。
巴水の得意とする雪景色で東照宮を描いています。
塩原 畑下
塩原 畑下
SIZE : W 24.5 / H 36.4 (cm)
昭和21年(1946)作画 塩原は巴水が大正7年(1918)に版画製作をした最初のシリーズ作品の地であり、
昔からなじみのある塩原を巴水は度々描いています。
なじみの塩原畑下温泉を、得意の雪景色にて描いています。
塩原の秋(天狗岩の下)
塩原の秋(天狗岩の下)
SIZE : W 24.5/ H 36.4 (cm)
昭和25年(1950)作画 黒ずんだ巨大な岩をはさんで、碧潭の飛流と、全山の紅葉の描写に
見るべきものがあります。
井之頭の春の夜
井之頭の春の夜
SIZE : 24.3 / H 36.3 (cm)
昭和6年(1931)作画 おぼろな月を二通りに現わしている。この絵のときは版元渡辺庄三郎氏もスケッチに同行した。
おぼろな夜桜、池への投影が巴水苦心の作である。(川瀬巴水全木版画集より)
牛堀の夕暮れ
牛堀の夕暮れ
SIZE : W 24.0 / H 36.0 (cm)
昭和5 年(1930)作画 牛堀は、茨城県の霞ヶ浦の出入口に位置し、昔は水運業が発達した。
水面に写る夕暮れの光と影を情緒的に美しく表現している。
巴水は茨城県にて、有名な場所ではないが、情緒深く表現した風景画を数多く残している。
こま形河岸
こま形河岸
SIZE : W 36.5 / H 24.1 (cm)
大正8年(1919)作画 浅草駒形河岸の竹屋の前で、真夏の午後にスケッチした作品です。
道ばたに、荷馬車の馬がもの倦けに立っている姿や車上に睡る馬方など、
いかにも夏らしさが感じられる作品です。