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純和式の畳が浮世絵の額縁になりました
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木版画のディープな世界 

当ホームページ及びREADYFOR株式会社運営のクラウドファンディング募集ホーム ページで、岩手県陸前高田市で津波に耐えた奇跡の一本松の写真を木版画にするためのプ ロジェクトを紹介した際、木版画の元となった写真はみちのく巡礼の櫻井史朗氏の撮影し たものと記載しましたが、実際は読売新聞東京本社写真部員が撮影した写真でした。当該 記事はすでに削除しました。誤った記載をしたことをお詫びし、訂正させていただきます。

 

 第1話  第2話 第3話   第4話 第5話  第6話  第7話  第8話  第9話  第10話 
第11話  第12話  第13話   第14話 第15話  第16話  第17話  第18話  第19話 第20話
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第31話 第32話 第33話 第34話 第35話 第36話 第37話 第38話 第39話 第40話
第41話 第42話 第43話              

 

商品の返品と交換のお願い 

平素より格別のご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。

  この度、浮世絵「奇跡の一本松」を弊社にて制作し、岩手県陸前高田 伊東文具店より 販売しました。

陸前高田市の一本松を撮影した写真に基づいて制作しましたが、この写真を撮影
したのは読売新聞東京本社でした。撮影者を別の人物と誤認して制作したため、現在、
読売新聞東京本社が撮影者である旨を記載された商品への作り替えを進めております。

つきましては、下記該当商品をお持ちのお客様は、下記お問合せ先までご連絡ください。
新しい商品と交換させていただきます。ご協力のほどよろしくお願致します。

尚、返金での対応もお受けいたしますので、まずはご一報のほどお願い申し上げます。

 

■ 該当商品: 浮世絵「奇跡の一本松」大型版

■お問い合わせ先:
 伊東文具店 事務所
 住所:〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町字荒町104番地4
 TEL:0192-54-4412
 FAX:0192-55-3217  

お客様には大変なご迷惑をお掛けします事を深くお詫び申し上げます。
何卒ご理解とご協力を賜ります様お願い申し上げます。

第1話

もうかれこれ40年以上になるのですが、毎年年賀状では木版画を作ってきました。印刷にはない、CRTやLCDにもない、その独特の美しさに魅せられてきました。
そんな木版画の魅力や、その作り方のイロハから、現状のビジネス状況に至るまでの話を、今後少しずつご紹介してゆきたいと思います。
まずは、下の写真は過去の年賀版画の作品例です。彫り、摺り、は自前ですが、ただ、デザインは本などから拝借しました。毎年年末にはエラい思いをして黙々とこんな木版画を作ってきました。

第2話

木版画というと、小学校でやった木版を思い出すかもしれませんが、あれは白黒でしたね。では、どうすればカラー化できるかというと、下の図を見てください。
こんな富士山の絵を木版画にしたい場合は、まず絵を色ごとに分解して、それぞれの絵に相当する版木を彫ります。(もちろん左右反転させて、凹凸作って‥)そして、できた版木を順番に色を付けて、重ね摺りをしてゆくのです。この絵であれば、7色なので7回の重ね摺りとなります。
年賀状サイズであればこのレベルですが、浮世絵サイズ(A3やや小)となると、色数は遥かに増え、版木数も増え、グラテーションなどの表現で、更にまた重ね摺りをしますので、トータルの重ね摺り回数は、浮世木版オリジナル作品では、40回前後にもなります。

参考URL:
https://www.ukiyomokuhan.com/ja/how-to-make-woodblock-print-ja

第3話

木版画を作るとなると、まず版木を彫るのが大変ですよね。
緻密に彫る繊細さと画面一面に彫る根気が必要となります。
下の写真にて、私が彫ったものと、職人さん(彫師)のものとを年賀状サイズで比較してみました。いかに職人さんのレベルがスゴイものかお分かり頂けると思います。
工業製品でいえば金型を作る作業のようなものです。浮世絵レベルの高度な木版画を作るためには、とうてい機械では及ばないような職人さんの高度な匠の技が必要となってきます。

 

第4話

彫師という職人に成る為には5年の修行が必要と言われますが、それでもまだ一人立ちするレベルの話です。浮世絵の時代から、この匠の技は師弟関係にて脈々と今へと受け継がれていています。近年、彫師の数はすごく少なくなりましたが、若い人でそれを志す人も出て来ています。(女性が多い!)
浮世木版では、40年近くものキャリアを持つ関岡扇令(本名:裕介)さんに彫り作業をお願いしています。関岡さんは新しい作品への対応性が抜群で、弟子の育成にも積極的です。
下に関岡さんの紹介ビデオを添付しました。
(今から6〜7年ほど前の映像です)

第5話

多色摺りの木版画。何枚もの版木を使って、重ね摺りをしてゆきますが、どうしたらズレずに位置合わせができるかというと、「見当」を取っているからです。
私は木版画を趣味で始めた時に、誰からも教わらず、自己流の見当の方法を考え出しました。下の写真の左側がその方法で、年賀状の1つのコーナーとそれに隣接したヘリを使って位置合わせを行うのです。各版木はこのコーナーとヘリに位置合わせをして描いた絵で彫れば、重ね摺りで位置合わせされた合成画ができるのです。
一方、見当の考え方同じですが、プロは右図のように、コーナー、ヘリ、それぞれに彫りを入れた見当を作ります。紙をセットする際の滑りを防止する為で、この方が確実にズレのばらつきは少なくなります。ただ、写真でいうフチあり印刷という仕上がりになりますので、フチなし印刷仕上がりにこだわる私はずっと、自己流の見当でやってきました。
ちなみに歴史的には、18世紀後半、鈴木春信がある歌会の席で、歌を書く紙を飾るのに白黒の木版画の絵に色を付けたいと思いつき、あの平賀源内に相談しました。そして平賀源内がこの見当ということを考え出し、初めて多色摺りが可能となり、浮世絵文化が花開いたのでありました。

第6話

彫りを始める前には、版木上に原図の左右反転した絵を転写する必要があります。
私の自己流では、PCを使って左右反転画を作ってプリントアウトして、それをカーボン紙を通して版木上に絵を描く、という方法を取っていました。でもこの方法では、原図の絵をペンでなどるので、どうしても誤差が生じていました。
一方、彫師の伝統技法におけるその方法では、下の図のようになります。まず、版木に一面のりを付けておき、そこに原図を上下逆さまにして貼付けてしまいます。そして、皮を剥ぐようにして、紙を徐々に徐々に剥いでゆきます。紙が薄皮一枚レベルとなるとかなり原画が透けて見えてきます。最後に油、どんな油でもよいのですが、油を塗ってみると不思議なことに原画が見事にくっきりと浮かび上がってくるのです!
この技法、原画そのままの反転画なのですから、どう考えても「誤差はゼロ!」となります。現代のいかなる高度な機材を用いても、この精度には及ばないことでしょう。
この技法により、原画に極めて忠実に木版画を作ることが可能となり、また、過去の作品、例へば、北斎、広重といった江戸時代の作品に対しても、初刷り品(初回ロット品)を原図として、極めて精度の高い復古版を作ることも可能となっているのです。
ただ、この方法、原画はどこへゆくか?というと、なんとゴミになるのです!江戸生まれの伝統木版。原画をゴミにするとは、これが江戸っ子の「粋」てやつかもしれませんね。

第7話

木版画の彫りの話に続きまして、今度は摺りについてご紹介します。
摺り作業では、版木の凸部に絵の具を乗せて、バレンで紙にこすり付けるわけですが、ベテランの摺師が摺りますと、木版画独特の2つの特長ある摺上がりにすることができます。(下図ご参照)
ひとつは「ぼかし」で、いわゆるグラテーションです。フラットな凸部に濃淡の色を付けることにより表現します。また、それを何度もくり返し、重ね摺りをして表現したりもします。
もうひとつは「かすれ」で、この木版独特のザラザラ感は、フラットな凸部の木目によって出すこともあれば、バレンの材質、摺り方で表現することもあります。
いずれも、趣味レベルの私の腕では、ほとんどうまくゆかない、習得するに何年もの修行が必要な高度な職人技法です。
しかし、今の印刷技術、PCやプリンタを使えば、こんな絵柄は簡単にできるんじゃないの?と思われるかもしれません。
ところがですね、木版で摺った絵には、他の印刷物とは根本的に異なる相違点が生じているです。

第8話

摺り上がった木版画は、通常の印刷とは大きな違いが生じているのですが、その原理を簡単に下図に表しました。
通常の印刷では紙の表面上にインクが乗っている状態で仕上がるのですが、木版画では絵の具が紙の奥まで吸い込まれているのです。
その証拠として、木版画を裏返して見ると、しみ込まれた絵の具が透けて見えます。一例として、今でもベストセラーの北斎「神奈川沖浪裏」の木版画(復古版)でその裏の状況を確認しますと、像がしっかり透けて見えるのが分かります。(写真右下)
ちなみに、この裏から見るというのは、本当に木版画か否かを判定する鑑定法でもあります。
紙に絵の具がしみ込んでいるからこそ、木版画独特の深みのある、味わいのある質感というものが生み出されてくるのです。また、このような仕上がりの為には、油性インクではダメで、水性絵の具が必要であり、版が金属やゴムではダメ、インクジェットでは紙深くにはしみ込まない、等々、やはり木を彫って水性絵の具(顔料)をのせて紙に摺る、という行為をしなければできないものなのです。

第9話

摺師は、摺るという作業以外にもいろいろな準備作業を行っています。
まず、紙(和紙)に水分を含ませること。それは、和紙の奥深くに絵の具をしみ込ませる為に必要です。3mm厚ほどのボール板に水を含ませ、一晩置き、その板と板との間に和紙をはさみこんで水をなじませます。ただ、和紙は水を含むと拡張しますので、その伸び量が均一になるよう水分量を管理することも必要です。(図1)
そして絵の具の調合。3原色の固形顔料を調合して、すばやく目的の色合いを作り上げます。黒は固形状の墨を溶かして使います。そして色の濃さは水の量で調整します。(図2)
作った絵の具を、版木上にポンポンと軽く乗せてゆきます。それと同時に若干のでんぷん糊も乗せます。和紙上に色が付き易くする為ですが、付けすぎると木版特有のかすれ感が失せるので要注意です。また、濃度補正として水も乗せたりもします。(図3)
絵の具は、たわしのような大きさのブラシ(図4)を使って、ムラなく版木凸部全体に伸ばします。
見当に和紙をセットして摺りますが、重ね摺りの1枚目は試し摺りです。(図6)
和紙以外にも、版木も若干伸縮しますので、若干の位置ズレが生じてきます。ズレ量に相当する分を確認して、見当を調整します。見当は削ることもあれば、さし木をして増やすこともあります。(図7)

第10話

摺師作業の補足説明ですが、重ね摺りを行いますので、版木を替えて作業を行う際には、その都度、先日説明の事前作業を行います。
その為、例えば50枚摺るのであれば、1枚ずつ全行程を行うのではなく、各工程ごと50枚すべて摺ったうえで工程を進めてゆきます。その方が格段に効率的で品質も安定するからです。
あと、彫師作業の補足ですが、原画を上下逆に版木に貼付ける方法は、すべての版木にも適用させています。まずは、その方法で輪郭線(墨線)の版木が彫り上がったら、絵の色数分を摺ります。そして各紙に各色を朱色でマーキングを入れ、それぞれの版木(色板)に上下逆にして貼付けて作業で進めてゆきます。
版と版の間の彫りのズレを限りなく無くす為です。
このような予備知識を得たうえで、下のスライドショーを見て頂くと、"なるほどね〜"とご納得いただけると思います。

第11話

常に高品質な作業を追究する彫師・摺師は、用いる材料の材質においてもとてもこだわりがあります。
彫師においは、版木は「山桜の木」を使います。非常に細かい所まで切れるよう固い反面、切れる為にしなやかさ もあり、重ね摺りに耐えうる強度もあり、水を含んでも反りにくい特性等も持っているからです。また貴重で高価 な木なので、両面彫りにしてムダなく有効に使っています。

一方、摺師においては和紙和紙(石州半紙、本美濃紙、細川紙)は、2014年ユネスコ無形文化遺産となりましたが、これら原料が楮(こうぞ)100%の手漉きの和紙は「生漉き奉書」と呼ばれ、昔から武家や幕府の公文書として使われきました。非常に丈夫であることから、何十回もの重ね摺りを行う摺師の作業には、この生漉き奉書が欠かせないものとなっています。このような高級な和紙も手作りでなければ作れないものでありますが、以下に美濃での和紙制作工程の概略を紹介致します。

  1. 原料:写真1参照
    茨城産を使用
  2. さらし:
    原料を水に浸す事によって、水に溶けやすい不純物「あく」を除き原料を柔らかくします。
  3. 煮熟(しゃじゅく):写真2参照 
    楮の繊維だけを取り出すために、晒された楮を炭酸ソーダを入れた大釜で2時間ほど煮ます。
  4. ちりとり:写真3参照 
    まだ原料に残っている黒皮などのチリ、変色した部分などを、流水の中、丹念に手作業で取り除いていきます。(チリは楮の繊維の中に入り込んでいる為、手作業でしか除けれません)
  5. 叩解(こうかい):
    ちりを取り終わった原料を、石の板の上に置き、木槌で叩いてほぐします。途中何度か返して十分ほど叩解します。
  6. 紙すき:写真4参照 
    原料の楮と『ねべし』と呼ばれるトロロアオイの根から抽出した液を、漉舟(すきぶね)に張った水の中に入れてよ く混ぜ合わせます。次に、簀桁(すけた)という道具を使って漉舟の中の液をすくい、揺ります。
  7. 圧搾(あっさく):
    すき上げた紙に圧力をかけて水分を搾ります。1日間、時間をかけながら徐々に強く絞っていきます。
  8. 乾燥:
    伝統的には、一枚ずつはがした紙を特製の刷毛を使って板に貼り付け、天日で乾かします。(現在では金属製乾燥機を使用する場合あり)
  9. 選別:
    紙を光に透かして、破損、傷、チリなどの不純物や斑のあるものは除きます。また、重さ(厚さに相当)別に細かく分別します。

ここうして出来上がった和紙は、すぐに摺り作業に使えるものではなく、「ドーサ引き」と呼ばれるコーティング作 業が必要です。これは、絵具のにじみを防止する作業で、膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の混合液を和紙表面に塗布 しますが、その混合比、濃度などは温度、湿度などにも左右される為、ドーサ引きも専門の職人さんが行っています。

このように、和紙一つとっても、とても深い世界があります。

 

 

第12話

木版画を作ることについて、彫師、摺師のことについて説明してきましたが、それは木版画のハードウェアのお話。今後は木版画のソフトウェア、つまりデザインを描く絵師、ビジネスをする版元、について説明してゆきたいと思います。
下の浮世絵は、誰でも一度は目にしたことのある、葛飾北斎の有名な作品「神奈川沖浪裏」です。
北斎は天才だ!と言われることがよくあります。
この絵のダイナミックな構図、描写、色使い、といったことも勿論ありますが、更に驚くべきことは、この名画が墨線を除いた色数はたったの7色、つまり、たったの8回の重ね摺りでできてしまうのです。摺師からすると少ない回数で完成できるのですから、より安価に作ることもでき、より多くの人たちに提供し続けている作品でもあるのです。
彼は絵師ですから、彼が彫ったり、摺ったりした作品ではありませんが、彼はもと彫師だったということもあり、職人の能力を熟知していたと思われます。木版画には凹凸を作る関係でデザイン上いろいろな制約ができてしまうのですが、彼はその制約の中で職人の能力を十二分に引き出すようなデザインを作ることに天才的な才能があったのです。実は、彼に限らず、有名な浮世絵というのは、とてもうまく職人の能力を引き出すようなデザインをしているものなのです。
明治以降、浮世絵が海外に一気に拡散し、世界がその芸術性の高さに驚嘆しました。浮世絵そして木版画は海外で高い評価を受けていますが、次回はそんなご紹介をしようと思います。

第13話

私は、幼い頃から木版画を趣味にしていましたが、実は長い間、浮世絵が木版画であるということを知りませんでした。その彫り、摺りの難しさを身を持って経験していたので、本や写真で見る精巧な絵、浮世絵が木版画などとは全く念頭にもないこと、筆で描いた絵だと思い込んでいたのです。
今から約23年前、前の会社の関係で、アメリカ東海岸ボストン郊外に3年間赴任をしていました。ボストンはアメリカ発祥の地ともいうべき歴史ある町で、古い建物と新しい建物が混在したおしゃれな町です。また、ハーバード大学やMITといった超一流の大学や美術館や博物館などの多いとてもアカデミックな町でもあります。中でもボストン美術館は世界的に有名であり、特に日本のコレクションでは海外最高級を誇ります。
そのボストン美術館に初めて行った時のことです。おびただしい数の浮世絵の展示を見て、全身鳥肌が立つほどの衝撃を受けました。私は現物を見て初めて、浮世絵は木版画なんだ!ということを知ったのでした。

第14話

ボストン美術館での浮世絵等の伝統木版の展示は、驚愕の連続でした。
まずはその量。北斎、広重、写楽、歌麿、国芳、といった江戸時代の作品のみならず、その後の小林清親、橋口五葉、伊東深水、土屋光逸、川瀬巴水などの新版画といわれる伝統木版も多数展示していました。しかし、それはほんの一部に過ぎず、日本の木版画の所蔵総数はなんと220,000点!! と言われています。ボストン美術館では明治以降いち早く日本美術の優位性に気がついて、これだけのコレクションをしてきたのです。
もちろん、ボストン美術館では西洋の巨匠といわれる画家、ミレー、モネ、ルノアール、ゴーギャン、ゴッホ、ピカソなどの作品も多数所蔵していますが、浮世絵などの伝統木版に対して、それらと同等の扱いをして展示をしているのです。つまり、伝統木版には西洋の巨匠の芸術に勝るとも劣らない高い芸術性がある、ということを訴えているのです。
伝統木版は日本人にしか作れない高度な工芸品です。ボストン美術館は日本人としてのプライドを感じさせ、本当に嬉しく思い、感謝したくなる美術館なんですよ。

第15話

ボストン美術館では、浮世絵をはじめとする日本の芸術が、明治開国後西洋の芸術家に対して大きな影響を及ぼした、ということを力説しています。それは「ジャポニズム」と言われていますが、ゴッホ、モネ、ルノワール、セザンヌと言った印象派への影響は、日本人が考える以上に大きなものだったようです。特にゴッホなどは「私の作品はすべて日本の芸術(浮世絵)の恩恵によるもの」とまで言い切っているそうです。
具体的に浮世絵が彼にどんな影響もたらしたのでしょうか‥?
ゴッホはかつて浮世絵を模写しています。下の写真左2つがその例ですが、浮世絵のぼかし、かすれを油絵で表現しようとした努力の跡が見受けられます。浮世絵の美しさというのは、デザインだけではなく、前の説明のように、彫りと摺りと共にかもし出されるものです。才能のある彼は、その木版画に秘められた「デザインと彫りと摺りとの調和」というものを見抜いたのでしょう。彼は油絵の世界において、彼なりの調和方法を編み出してゆき、そうして彼独特の画風である「点画」というものが生み出された、と私はみています。(写真右)

第16話

浮世絵は江戸時代に作られた木版画ですが、明治以降もその高度な木版画は作られてきました。私はボストン美術館の展示からそれを教えられました。
明治以降、日本では海外からの写真技術や印刷技術によって木版画業界は衰退するのですが、そんな状況下でも浮世絵の持っている芸術性を見いだし、さらに進化させた木版画が登場してきました。それは「新版画」と呼ばれる明治末期〜昭和中期の木版画で、小林清親、橋口五葉、伊東深水、土屋光逸、川瀬巴水などの有名版画家を生み、特に近年、川瀬巴水が海外でとても人気が出て来ています。
ちなみに、あのアップルコンピュータのスティーブジョブズ(2011没)は、1984年初代マッキントッシュのCMで橋口五葉の「髪梳ける女」を映像化したことが知られています(下写真)。実は彼は新版画、特に川瀬巴水の熱烈なコレクターでもあったのです。来日した際には「川瀬巴水の風景画を全部購入したい」と大人買い?したことでも有名です。ジョブズはスマートフォン(i-Phone)などを発明した天才ですが、彼ほどの天才が、巴水の風景木版画をただ単に見ていただけとは思えません。彼は木版画にどんな何を夢みていたのでしょうか‥?とても興味深いところですよね。

第17話

私は浮世絵というものが木版画ということを、ボストン美術館の展示で初めて知ったということをご紹介しました。そんな小・中学校で教わりたかったような話が、他にもありました。
展示の浮世絵をよくよく見ると、その彫り、摺りのレベルが尋常でないことから、それぞれの道を極めた者でしかできない、つまり、彫りと摺りはそれぞれ別の人がやっている!と見えてきたのです。ですと、専門職の彼らが作画までできないので、絵を描く絵師が別にいたはずです。そう、浮世絵というのは、絵師、彫師、摺師の分業制で作りあげたもの、と分かってきました。また、その人たちを使ってビジネスしていた人(版元)の存在も見えてきました。普通、絵画といえばデザイナーが個人で完結するものですが、浮世絵は全く違うのです。分業制、企業的組織で作りあげていたのです。
有名な北斎、広重、写楽、歌麿、というのはあくまで作画をしただけで、彫り摺りまでやったわけではないのです。では誰が彫り摺りをやったかというと、それは名も無き職人だったのです。江戸で生まれた浮世絵ですが、尋常な匠の技を持った職人の名は残されてはいませんが、それが江戸っ子職人の粋(いき)なところだったのかもしれませんね。

第18話

浮世絵は新聞, 雑誌, 写真, ブロマイド, 小説, 広告, アート 等々、江戸時代のすべてのメディア、映像文化をになった巨大産業として大いに繁栄しました。しかし、明治開国後、海外からの印刷技術・写真技術といった津波のごとき技術革新によって、浮世絵の産業界は壊滅的なダメージを受けます。唯一、アートとしての浮世絵のみ「新版画」として進化して生き残り、その作品はボストン美術館でも多く展示を行っています。
ところがその新版画も、昭和30年頃からぷっつりと作品が無くなってしまうのです。これはどうしたことなのでしょう??
日本が誇るべき、西洋の巨匠の作品にも勝るとも劣らない、高い評価と人気をもつ浮世絵・新版画が、昭和30年頃から消えてしまうのです。私は愕然として、何故無いんだ?と失望すると同時に、あるべきでしょ!とも切望しました。
そしてついには、次のような発想にもゆきついたのです。
『それをやったらビジネスになるんじゃないの‥?』と。

第19話

今から20数年前、私がボストン美術館で、浮世絵レベルの木版画を作ったらビジネスになるんじゃないか、と思ったのは次のような考えからです。
通常、絵画といえば画家が作品をつくりあげて、1点ものとなります。しかし、浮世絵レベルの木版画というのは、画家は絵を描きますが、その絵は彫師、摺師の職人の手に渡り、量産されるのです。
一方、ボストン美術館では、西洋の巨匠の作品にも勝るとも劣らないものとして、(浮世絵レベルの)木版画を扱っています。でも、その価格といえば木版画は量産できますから、通常の絵画に比べると圧倒的に安くできるのです。つまり、浮世絵レベルの木版画というのは、ものすごくお買い得なアート商品となりえるのです。
当時、前の会社の都合で赴任していましたので、これは「きっと誰かやるんだろうなぁ‥」と考えていました。ただ、とても気になるテーマではあり、その後もその実現性を探るべく木版画についての知識を増やしていったのでした。

第20話

「昭和30年以降、浮世絵レベルの木版画作品が見あたらない」ということは昭和30年以降新しい作品が作られなくなった、と推測されました。新しい作品を作るうえで必要な、版元→絵師→彫師→摺師のフローが機能しなくなったことが考えられ、その理由としてまず、職人(彫師、摺師)がいなくなったのではないか?と疑いました。しかし、その後知識が増えてくると、それは誤りであり、職人は非常に数少なくなったものの、ちゃんと現存していることが分かってきました。
でも、職人はどうやって生き延びてきたのでしょうか?
それは、千社札と浮世絵の復刻版の需要があったからでした。千社札には神社仏閣に詣でた際に山門やお堂に貼りつけるお札としての白黒版、或いは、今でいう名刺代わりに使われた多色摺版がありますが、それらの文化が今でも残っているのです。また浮世絵の復刻版は、先日ご紹介した極めて精巧な復刻版作りが可能なことと、江戸時代の作品がすべて著作権フリーであることから、多くの職人の主な仕事となってきました。また、これらの作成には、必ずしも版元、絵師は必要ではなく、職人の中だけで完結できるやり易いビジネスでもあったのです。

第21話

浮世絵の復刻版について更に詳しくご紹介したいかと思います。
普通、絵画といえば、画家が描いた原画を本物として、それを模写した作品を模倣品或いはレプリカなどと呼んで、悪くいえばニセモノ的な扱いを受けます。しかし、浮世絵師の原画というのは、実は輪郭線(墨線)だけなのですが、それすら版木を作るプロセスでゴミとなります。その版木を元に大量の浮世絵が出来上がってきますが、どれが本物なのでしょうか?私はすべて本物だと思いますが、木版画の世界では、本物VS模倣品(レプリカ)という発想がありません。
木版画では、最初の摺りロットを「初摺り」と呼び、同じ版木によるその後の摺りを「後摺り」と呼んでいます。その作品を原図として復刻版の版木を作くって、また摺ります。そしてまたその作品原図として復刻版の版木を作る‥という具合に、何度も復刻版が起こされました。本来、完璧な復刻版を作るプロセスがあるのですが、ただ長い歴史の中では、コストダウンの為に色数を少なくしたりとか、違う色を使ったり、別のデザインを加えたり、といったことが行われ、復刻版を繰り返した結果、中には粗雑品も含まれてしまいました。そういった粗雑品を原画にしたら、良い復刻版は作れません。
しかし、今でも入手困難な初摺り品を原画として復刻版が作られていますが、そのクオリティーは驚くほど高いです。それは十分にビジネスとなり、多くの職人を生き残らせてもきました。このクオリティーの高さを知らない人は多く、まだまだ発展する余地が残されていると思われます。

第22話

浮世絵という名称は非常に有名ですが、木版画に対して何でも浮世絵と言うとちょっと語弊があります。浮世絵は江戸時代の作品の名称なので、先日の北斎の復刻版などは、まさしくその通りなのですが、大正や昭和初期の作品には、「新版画」という名称がありますので、それを使うべきかと思います。浮世絵と新版画は共に江戸(東京)生まれなので、「江戸木版画」と言われたりもします。
製作技法はそれとほぼ同じなのですが、色の付き具合を変えた「京版画」というものもあります。NHKの「あさが来た」のイントロで出て来た木版画が、実はこの京版画でした。これらの木版画は伝統的な分業制によるものなので、「伝統木版」と呼ばれます。
一方、彫り、摺り、デザイン、全部ひとりでやる(私の趣味なども)木版画は、「創作版画」と呼ばれます。
更に「版画」と言うと範囲が非常に広くなります。かつて「プリントごっこ」という印刷機がはやりましたが、あれはシルク印刷の一種で版画の中に入ります。また銅版画もしかり、凸版画、凹版画、平版画、孔版画、等々すべて版画と呼ばれます。確かに木版画も版画ではありますが、版画と言えば木版画、と思うのは大きな間違いなんですよね。そんな、いろんな用語の関連を下記に図式化してみました。私の目指すところは、伝統木版であり中でも江戸木版画、ということになります。

第23話

木版画の中でも伝統木版を作るのであれば、彫師、摺師がかかせませんが、いずれも少なくとも5年は修行をしなければ、仕事に就けるレベルにはなりません。そして当然そのデザインを描く絵師も必要なのですが、絵師は何年やればうまくできる、というものではありません。他の絵画の画家とも違い、木版画の特性に合う絵柄にすることも必要です。あの天才と言われる北斎でも、幼いころから絵心はありましたが、有名になる浮世絵画を描けたのは60歳を過ぎてからでした。
創作版画に中には、伝統木版を全部ひとりで作ろうとする方が稀れにみえますが、相当な年月をかけても彫師、摺師の技術をマスターするのがやっとで、絵師のデザインの域まで届いた例はまずありません。彫師、摺師でも十分難しいのですが、絵師には更に違う難しさが必要なのです。
私の趣味レベルの木版画などでは、彫りも摺りもまだまだ甘いレベルなのですが、いわんやデザインの方は、そもそも自分で作ることすら考えていません。デザイン集などから、良い絵柄を見つけては拝借させて頂いています。ただ、それですら木版画作りはとても難しいものなのです。

第24話

私が長年やってきた年賀状の木版画作りですが、デザインは要は貰い物ですから、苦労は無いかというと実はそうでもないのです。
木版画化できずにお手上げになったり、出来上がりが何か変でイメージと違うものになったりとという問題が起きますが、それが彫りや摺りの問題ではなく、デザインに起因することが多いのです。
下図でいうと、デザインCを持ってくれば、これぞ木版画!という仕上がりとなりますが、デザインAやデザインBを選んだら、せっかくの彫り、摺りがムダとなるような痛い目に合います。実はデザインとは、とても恐ろしいものでもあるのです。それはすべての木版画、浮世絵等の伝統木版においても言えることなのです。
では、デザインAでは何故お手上げとなり、デザインBでは何が変になり、デザインCでは何が良いのか?もう少し詳しくご紹介してゆこうと思います。

第25話

デザインによっては木版画にできないものがあります。それは木版画を作る上での彫りや摺りに関係しているのですが、摺りにおいてのその例をご紹介します。
摺りの前には、彫り上がった版木の凸部に絵の具を付けて均一に伸ばす必要がありますが、相手は木ですから小さな筆などでは確実に色ムラができてしまいます。そこで下図のように、タワシのように大きなブラシを使い、左右に動かして絵の具を均等に伸ばしています。
グラデーションを表現したい場合は、まず濃淡があるように絵の具を塗り、濃淡を保ったまま左右にブラシを動かして全体に広げます。凸のフラット部に均一に濃度が変わるように絵の具を伸ばして摺りを行えば、グラデーション仕上がりとなります。
これを「ぼかし摺り」と言いますが、やはり大きなブラシを左右に動かす必要はありますので、画面の上下または斜め方向といったシンプルなグラデーションデザインは表現できますが、下図のような曲線状のグラデーションや局所的なグラデーションは物理的にできなくなるのです。

第26話

色と色が接した絵、例えば下図のような黄色い下地に青い四角がある絵を木版画にしようとした場合、版木は四角い部分を凹にした黄色用の版木と、四角い部分を凸のした青色用の版木を用意します。そして、順番に黄色、青色と重ね摺りをすれば、目的の絵ができるのですが、実際には見当を使っていても、和紙の伸び縮みなどの影響で僅かながら2色間でズレを生じてしまいます。そのズレは、2色の境界線部が白くなったり混合色が現れたりして、見苦しい色が不規則に現れます。その対策として、輪郭線の版木を用意して、黒の輪郭線を入れれば、その問題は解決します。
このような理由から、浮世絵や伝統木版画の絵柄には輪郭線(墨線)が入っているのですが、輪郭線のない絵を望む場合はイメージ道りにはならなくなりますので、厄介な話となります。
ただ、一部の絵柄によってはそれを救う伝統技法もあります。

第27話

先日は、黄色い下地で青い四角でしたが、青の四角が橙色であれば、色境界部の問題を起こさなくすることができます。その方法として、版木の1枚は四角い部分が凹になったものではなく、一面ベタで黄色用にするのです。そしてもう1枚は四角用ですが、これには橙色ではなく赤色を付けて重ね摺りします。そうすると黄色+赤色=橙色ですから、四角い部分は橙色となって、色境界部の問題も生じなくなります。もし、2色間の色相が近いものにできるのであれば、この方法で色境界部に墨線(輪郭線)を入れなくても済みます。
このように、木版画のデザインというのは、グラデーションをシンプルするとか、墨線が必要だとか、墨線がいやなら2色間の色相を近づける、等々の制約があり、そんな制約の中で構図が良くインパクトもあって色使いも良いような絵作りをする難しいものなのです。

第28話

木版画のデザインで生じる制約というのは、木版画の彫りや摺りに深く関係しているということがお分かり頂けたと思います。木版画はこのようにデザイン・彫り・摺りの調和がうまく取れていないと、立ち所に愚作となってしまう恐ろしさがあります。反面、うまく調和が取れた時には、他の芸術には見られない独特な美しさを発します。それはあたかも電気回路の共振現象のようです。インダクタンス、キャパシタンス、周波数の3者がある条件を満たさないと共振しないのと同様で、共振するとしないとでは大違いです。共振させるためには、3者の調整を取らなければいけないのです。
伝統的な木版画の組織体制において、彫師・摺師は大幅に減少しましたが、今でもまだ健在です。実は、絵師と版元が瀕死状態になってしまったことが一番の問題であり、近年それが故に共振するような作品ができなくなってきたのです。昔は、共振の調整役は絵師でしたが、今日そのような絵師は枯渇しています。ではどうすれば再生できるかといえば、版元がその調整役となればそれが可能だと私は考えています。

第29話

以前、ボストン美術館での木版画の展示で、昭和30年以降の作品が見あたらなかった、というのはそれ以降、彫師・摺師はなんとか生きのびたのですが、版元・絵師の方が瀕死状態となり、デザイン・彫り・摺りがうまく共振するような作品ができなくなってきたのです。
日本が世界に誇る伝統木版がこのように衰退してゆくのは、私にとってはとても許しがたいことなのですが、世間ではそれに正面から取組もうとする動きが、待てど暮らせど一向に起きてこないのです。だったらもう私がやるしかない!と一念発起し、ついに2013年。私が版元となって木版画のベンチャービジネスを始めたのでした。
まずは屋号は「浮世木版」としました。その昔、浮世絵が「絵」だと思っていた私の苦い経験から『浮世絵は絵じゃなくて木版画なんだぞ』という意味合いと、浮世(今の世)の木版画、つまり現代の伝統木版を作って世界中の人たちに感動を与えたい、という理念も含めています。
今後は、浮世木版の取組みをご紹介してゆきたいかと思います。

第30話

現代において、版元と(木版画)絵師は瀕死状態と紹介しましたが、でも新しい木版画が全く作られていないか、というと実はそうでもありません。下の写真はその一例ですが、漫画家のキャラクターが木版化されたり、有名画家の作品が木版画化されたりしています。
しかし、漫画、アニメのキャラをそのまま使っても、キャラクター商品のひとつに成り下がるだけで、木版画アートには成り得ないと思われます。また、有名画家といっても前述の木版画が故のデザイン制約というものは分かっていないでしょうから、有名画家必ずしも木版画の名絵師とは成り得ないのです。そして、これらの作品は前述の「共振」した作品には成り得ていないと私には思えるのです。
とはいえ、芸術品の商品価格というものには「希少価値」とか「ネームバリュー」が含まれてきますので、こういった商品は商業的には成功することもあります。しかし、浮世木版としてはこのような作品作りをするつもりはありません。あくまで木版画が持つ真の芸術性を引き出してそれを商品化する、それが伝統木版の本道であり、基本的なスタンスとして考えています。

第31話

職人は復刻版の生産などによって生き残ったと説明しましたが、そのビジネスをしている版元も職人同様に少数ですが東京などに存続しています。今の職人による品質の高い伝統の木版画というものは、その存在すら知らない人も多いので、その版元から入手して転売するということをひとつの基幹ビジネスとすべく準備を進めました。入手元のひとつは、浮世絵を専門とする版元(A社)です。前述の初摺り品を原画として復刻をする極めて品質の高い浮世絵作りをしています。転売品を大量に入手する一方で、このビジネスのノウハウも伝授して頂けました。もうひとつは、新版画を専門とする版元(B社)です。こちらでは当時作られた版木の多くが健在であり、当時と同じ品質の後摺り品を作り続けています。A社同様に転売品を大量に入手する一方で、職人の紹介を含め、さまざまなビジネス支援を頂いております。
転売のビジネススタイルはこのように構築したのですが、やはりメインはオリジナル品をどう作るか、一番の問題はデザインをどうするかでした。私は40年以上の趣味の産物として、木版画化して上手く共振するようなデザインを見つける能力が飛躍的に向上してきました。100発100中に近いレベルです。であれば、世の中のありとあらゆるデザインを見て、これぞと思うものをヒットさせれば良いのでは?と考えるようになりました。

第32話

世の中のありとあらゆるデザインを見ようと言っても、ひと昔前では大変な話でした。でも、今ではインターネットを使えば簡単な話です。木版画や絵画に関するキーワード検索にて、関連する映像データを片っ端から調べてゆきました。すると、これは木版画にいける!というような絵がポツポツ見つけられました。それらを更に調べてみると同じ作者「岡本辰春」さんでした。岡本さんは、独自手法のデジタルアートを97年に考案し、"浮世絵は骨董品であってはならない"という持論を掲げながら、現代の最新ツールを用いて浮世絵の世界を描くという、世界でも類を見ない画家です。
http://www.tatuharu.com/
さっそく彼のホームページからコンタクトを取り、在中の京都にて打合わせをしました。岡本さんの作品を伝統の木版画にしてみたいとのお願いをしたところ、実はかねてから実際の木版画にしてみたかったがその方法が分からなかった、とのことで快諾して頂けました。私が岡本さんがすでに作画した作品のロイアリティをお支払いして木版画化するということで商談成立しました。こうして、絵師は岡本辰春さんとしてオリジナル木版の作成がスタートしたのでした。

第33話

絵師は岡本辰春さんとして、その作品を木版画化する為には、彫師、摺師を見つけなければいけません。その点、新版画の転売品を購入したB社より絶大なるご協力を頂きました。まずB社が復古版を起こす際に専任彫師としている関岡扇令さんを紹介して頂きました。関岡さんは、38年ものキャリアを持ち、その高い技巧は、単に原画に忠実に彫るだけではなく、原画の甘い線を補完した彫りもできる、創造性の高い技巧を有しています。
一方、摺師の方は、第1作についてはB社所属の林勇介さんに都合をつけて頂き、第2作からは、B社にて修行した後独立した岡田拓也さんを紹介して頂けました。岡田さんは、8年のキャリアを持ち、新版画において用いられる多くのぼかし、かすれ等の高度な技法を習得しています。
こうして、現日本最高峰ともいえる、強力な絵師、彫師、摺師の布陣ができあがり、この体制のもと浮世木版オリジナル作品が作られています。現在、第3作まで製品化され、第4作を制作中です。それぞれ、コンセプトを持った作品づくりをしており、詳しくは下記サイト(URL)をご参照頂けますと幸いです。
http://www.ukiyomokuhan.com/ja/artists/tatuharu-okamoto

第34話

さて、伝統木版という商品をどう販売するか、ということで店舗を持つとなると初期投資も運転資金も大きくなり、長続きしない可能性が高くなります。そこで、まずはWebサイトを立ち上げ、それを基軸にビジネスを拡大してゆこうと考えました。また、国内にも海外にも販売できるサイトとする為に、Webサイトを作れる人と、海外目線でのアドバイスを与えてくれる人(つまり外国人)を探しました。
そんなある日、一宮商工会議所主催の起業家勉強会に出席したのですが、たまたま私の隣に座っていたのは外国人でした。彼がそのアドバイザーに成るかも?と思い、彼の職業を聞たところ、なんとWebデザインやサーバーメンテナンスをやっているというのです!!私は即、彼をビジネスパートナーにすることに決めました。彼の名はハイネルト・マイク(Maik Heinelt)さん。ドイツ人ですが日本の奥さんと結婚して一宮市在中です。Webサイトを作成したりサーバーメンテナンスを行う「サーフゲイト」、そしてIT商品を販売する「TECH ACE」を運営しています。
https://www.servgate.jp/index.php/ja/
http://techace.jp/
浮世木版のホームページ作りは、日本語、英語で商品を見せるだけではなく、販売つまり決済が必要となります。数多くのファクターを、英語/日本語、ドル/円で決済しますので、とても複雑な構造となり、トラブルが頻繁に起りました。しかし、彼と共に時間をかけて改善を進め、とても完成度の高いものに仕上がってきました。伝統の木版画を、浮世絵から新版画、そして現代のオリジナル作品まで海外へ確実に送れるサイトは、おそらくこの浮世木版しかない、というレベルに達しています。

第35話

オリジナルの伝統木版を作れるようにはなりました。私としては良い出来栄えと思っているのですが、万一勘違いでもしていると大変です。何か評価する方法があるといいのですが、定量化できない芸術品ですからそうはいきません。ところが、そんな虫の良い話が実際には起きたのでした。
昨年の1月末、名古屋ボストン美術館で「華麗なるジャポニスム展」が開催され、そのイベントのひとつとして、本家ボストン美術館から版画部門のキュレーター:ヘレン・バーナム(Helen Burnham)さんが来日してジャポニスムの講習会を開催されました。私からすると、海外の美術館で木版画を評価できる最も有能な方の来日でした。
http://www.nagoya-boston.or.jp/blog/2015/02/post-24.html
当日、私はオリジナル作品を持って、その講習会に参加しました。講習会が終了して、幸いにもヘレンさんと学芸院の方が二人で話している状態となったので、私は二人のもとに向かいヘレンさんとお話しする機会を得ました。私の自己紹介、浮世木版の起業の話などをして、オリジナル作品を見てくれるようにお願いして、第1作の「津軽龍飛碕 階段国道」を見せたところ、ヘレンさんは驚き叫ぶように言ったのです。"Oh My Goodness!!"
この訳ですが、意味的にはGoodnessが「良いもの」ですから、「何と良いものでしょう!」という絶賛の叫びだったと思います。私はこの経験によって、オリジナル作品の出来栄えは良好、私の作品作りは間違っていない、という確信を持つようになりました。
ただ、残念なことに、名古屋ボストン美術館は来年閉館となるそうです。このようなイベントはもう二度とないことでしょう。私はこんな千載一遇のチャンスをものにできて、こと木版画に関しては本当に強運だなぁと思っています。